私の家電量販店生活5年間(1998-2003)①

私の家電量販店生活5年間

家電量販生活を振り返る

私の人生の一部を当時の家電やガジェットを思い出しながら書いていきたいと思います。
記憶を頼りに当時の世の中の情勢も調べながら振り返ります。
今の家電量販店とは大幅に違う部分もありますが、本質は変わっていないと思うので、共感してくれる人がいればうれしいですし、私というキャラクターのイメージが少しでも表現できれば良いかなと思います。数回に分けて書いていきます。

私は大学を卒業後、今はもう存在しない関西大手の家電量販店に就職しました。もう25年も前のことになります。
今回は内定をもらってから入社するまでを紹介したいと思います。

どんな時代だったか

1990年代後半って

・インターネットもそれほど一般的ではない時代。ガラケーではネットの機能もなく、通話とメールができるだけ。
・携帯のメールはショートメール(SMS)のみ。まだNTTドコモのiモードが出てくる少し前の時代。
・パソコンもWindows95が出る少し前、Windows3.1の時代。
・高速インターネットもない時代。大学の授業ではインターネットもできたのですが、全員でアクセスすると全然ページを表示できなかった。
・Windowsは現在のWindows10などと同じようなUIではあったし、ブラウザもInternet Explolerはあったので、ブラウジングの基本というものは現在とさほど変わりがなかった。
そういう意味ではデスクトップ環境の基本は既にこの頃からあり、4半世紀を経た今でも片鱗がかなり残っているUIを考えると、元々の設計の素晴らしさを感じます。

当然パソコンは買っても活用するような場面を想像できず、当時卒業論文用にワープロを買いました。確かシャープの機種でした。当時はワープロが全盛期で、今のノートパソコンよりも一回り、いや二回りほどのボディに大画面とフルキーボード、印刷機構が組み込まれたものでした。
今は絶滅しておりみることもないですね。使い勝手は悪くなく、単純に文書を作る機能は優れていました。作った文書はフロッピーに保存します。テキストデータのみで画像も入れられませんからデータ量は今と比べ物にならないくらい小さいです。
そんなワープロで卒論を書いたおかげでブラインドタッチを習得できたことはその後の人生でプラスになったことの一つですね。

話をパソコンに戻します。私の周りにも友達でパソコンが趣味みたいな人はいましたが、50万円以上したような時代で、することといえばゲーム。私は全く影響されず、全くほしいとは思いませんでした。今でこそオンラインゲームなどがありますが当時はそいうものはありません。まだPlayStationが登場する少し前の時代です。任天堂スーパーファミコンが確か全盛期だったような気がします。そんなわけでパソコンは大学で触ることはあったので基本的なことは習得できたものの、所有するものといった感覚は皆無なのでした。

携帯電話は、単に電話をする道具であったものが4半世紀で劇的な変化を遂げたのは間違いないですね。その変化とともに社会人生活を送ってこられたことは貴重な体験をしたと思います。それはこのシリーズの続きでも触れたいと思います。

家電量販店に就職した理由

なぜ家電量販店に就職することになったかというと、自分が志望したからなのですが、第一志望だったわけではありませんでした。就職氷河期でしたから買い手市場でしたし、1998年当時はまだ大学に入ったならば良い会社に入って、または公務員になり安定した人生を、なんていう価値観が大きく支配していた時代でした。現在のように多様性などという言葉はあまりトレンドとして存在していなかったような気がします。
そんな中、私は銀行をはじめとする金融機関をメインで応募していました。その一方で、当時から大好きだった家電製品を販売する仕事にも就いてみたいとも考えるようになっていました。ファミリーレストランでアルバイトしていたこともあり、接客業そのものに抵抗がなかったというのも理由だったかと思います。
就職活動はその家電量販店から内定をいただいたことから終わりを告げます。本来であれば何社か内定をいただけるまで頑張るのがセオリーでしたが、学生にとって社会の荒波に揉まれてきたと思われる大人にあれこれ質問される面接に嫌気が差していたことも事実です。早く楽になりたい!という気持ちが勝ってしまったのです。
そんなわけで唯一内定をいただいたその会社に入社を決めたのです。

地獄の内定者アルバイト

内定者はあらかじめ店や仕事に慣れるために比較的高額な時給でアルバイトをさせてもらえました。私の家の近くにも店がありましたのでそこで週末だけ働くことになったのです。当時はファミレスのバイト以外に家庭教師のバイトもしていましたので3つ掛け持ちというハードなことになっていました。
でもそのことが辛いわけではなかったんです。

軽い嫌がらせを受ける

私はある売り場に配属されたのですが、そこは女性ばかりの売り場。そんなに歳も離れていない若手社員ばかりだったので、初めは色々と質問していました。ただ、そんなに親切な人たちばかりではなく、まあ正直私が鬱陶しかったのでしょう、何かすることないですかと聞いても「そこに立っといて」みたいな返答でそれは酷い扱いでした。
正直この会社に入ったのは間違いだったのでは、とも思いました。ただそんなことでへこたれるようなメンタルではなかったので、どうせ今だけと自分に言い聞かせ乗り切ったのでした。なので、得られるものは何もなかったと言っても過言ではありません。入社後同期のメンバーに内定者バイトのことを聞くと、親切にしてもらった人が多く、有意義に過ごせた、仕事が覚えられた、という話を聞いたのですが、私みたいな人はいませんでした。なんて不幸なんだと思いました。
ただこれも入社後に聞いた話ですが、私が配属されたその売り場の女性社員たちは、その店の中でも特にきついメンバーだったようで、他店からもそんなに好かれているメンバーでは無いようでした。逆によく耐えたね、と言ってくれる人もいて、この時ばかりは自分の折れなかったメンタルに感謝したのでした。

私が就職した家電量販店の特徴

・近畿ではトップクラスの売上
2003年まで会社は存続していて、一時100を超える店舗数を誇り、近畿圏内の量販店ではトップクラスの売上をあげていた。
・雑貨や高級時計、宝飾品、ブランドバッグなどの取り扱い
集客施策で日常的に来店できるよう幅広く雑貨や日用品を取り揃え、腕時計や宝飾品、ブランドバッグ、フレグランスなども取り扱い老若男女、客層は広かった。

というわけで1998年4月を迎え入社することになります。
続きは私の家電量販店生活(1998-2003)②

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